鹿沼キリスト集会の歩み

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鹿沼キリスト集会の歩みについて

昭和16年頃(1941年)

日支事変が起こり、そのまま戦争は拡大して太平洋戦争となった。空襲も次第に激しくなり、東京はいたるところが焼け野原となる。その頃、佐藤精雄、小俣文吉の家族が東京から鹿沼に疎開して来られた。やがて、私の家にて夜の家庭集会を始めることとなった。B29が上空を飛んでいる戦時下の厳しい時代なので、灯が外にもれぬよう部屋の周りに暗幕を張りその中で集会を行った。

昭和30年頃

築山好太郎氏(東京にて開業医をしていらっしゃった)が不思議な神の導きによって鹿沼においでくださることとなった。当時は小俣文吉、岡本トウ叔母、私(岡本サク)の3名が集い、月1回の家庭集会が行われた。

昭和34年頃

宇都宮市新川にてオランダ人、H・バウマン氏による集会のあることを知り、築山氏と同行する。その後、宇都宮集会に集う事になった。また、自宅の家庭集会も再会し、礼拝も行われることとなった。近所の知人や大芦村から老姉妹方など、多数集まっていた。その後、各地集会との交わりも多くなり、バウマン氏、ベッコン氏、佐野氏、小島氏、スピッチルさん、リデルスさんなど多くのクリスチャンの方々のご愛労をいただいた。

昭和49年

5月、麻苧町冨士見通りに小さな集会所が与えられる。日曜日の礼拝の他、日曜学校、高校生集会も始まりトラクト配布、学び会、映画会など多彩な伝道活動も行われた。ただ、なかなか鹿沼の町に浸透せず、下田町大日会館を借り、映画会「ノアの箱舟」を上映した時は1人の入場者もないという状況もあった。

平成元年

11月23日、現在の麻苧町チャペルにて献堂式を行ない今日にいたる。

【岡本さくの手記より】

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